連れ合いのN氏とアースガーデンを立ち上げてからの30年のエッセイ。フェスティバルは、仕事の中にも、暮らしの中にもあった。フェスのなかった時代から、フェスが当たり前になった今へ。
今回は、コロナ禍でのイベント開催と、地元秋川流域での挑戦について書きます。
前回の話は、こちら
https://www.earth-garden.jp/goodlife/82779/
私が50歳を迎えた翌月、2019年7月は「ハイライフ八ヶ岳」3回目の開催だった。この2つの出来事が、この年1番心に残ることになるだろうと思っていたあの時。
コロナ禍に巻き込まれる
2019年末、中国で発生した新型コロナウイルスは2020年には日本にも広がりパンデミックとなった。アースガーデンのイベント開催履歴から「新型コロナ感染対策」の注意書きが無くなったのは2023年春。3年と数ヶ月の日々は、混乱というよりカオスと呼ぶのがふさわしかった。
コロナ禍と子育て
ちょうど次男が大学1年生になったタイミングで、授業のほとんどがオンラインとなった。キャンパスで青春を謳歌する息子を思い描いていた私は、パソコンに向かう姿を見ると切なく本当に悔しかったが、暮らしの変化1つ1つになんとか追いつこうと自分をなだめるのに必死だった。でも、医療現場の人たちを思うと、私の不安や不満などは顔の前で両手で払い避けて過ごすしかなかった。あの特殊な数年間が子どもたちの人間関係づくりに与えた影響は大きかったと、ママ友との話題に今でも時折上がる。形で見えない分やっかいだ。
あの頃は親子の時間が増え、次男と一緒に集落の一本道をよくウォーキングした。もともと人とほとんど出会わないので、マスクを外して歩くのはリラックスできて楽しく、田舎暮らしの有り難みを感じた。仕事の段取りに頭を使わずに済むので、心もとても静かだった。仕事がなかったらこんな気持ちになるのだと、初めて感じた気がする(そんなおだやかな日々はあっという間に終わったのだが)。
息苦しくなる日々
色々な気づきをくれた自粛生活ではあったが、マスクをつけ、手を消毒して、周りに注意を払いながら過ごす日々は、言うまでもなく異様だった。人との交流がなくなり、心まで縮こまっていく感じが不安だった。感染も怖いが、その異常さに心にカビが生えていく気分だった。イベントearthgardenも開催を続けたかったが、結局数回は断念することになった。準備は、安心を積み上げるために1つ1つ確認しながら進めなければならず、ヘトヘトだった。そんな中、街中での過密は避け難くても、自然に囲まれた開放的な空間でならイベントは開催できるのではないか?とみんなで意見を出し合った。
イベント『ハイライフ八ヶ岳』4回目開催決定
2020年9月、ハイライフ八ヶ岳は予定通り4回目を開催した。感染拡大が深刻化する中、地元実行委員のみなさんと熱心に話し合って決断したことだった。屋外での開放的な開催を迎えることができたのは本当にうれしかった。マスク越しでも心に新鮮な風が入ってくる気分で、お客さんの感極まった表情を見るたびに、みんなで同じ場所に集まれたことに感動した。来られない方には、LIVE配信も行った。
一緒に奮闘してくださったみなさんの顔が思い出される。CHOKさん、MKさん、デザインや広報を越えて自分ごととして関わってくださったMCHさんチームとの準備は大変だったが、たくさんの笑顔が溢れた素晴らしい開催だった。
来年は、ここで会えるように
翌2021年、いつ終わるか分からないコロナ禍の真っ只中で、5回目は来年に延期となった。代わりにクラウドファンディングでご支援いただき配信LIVEを実施した。配信LIVEは私たちらしい内容で好評をいただき、これまで培ってきたコミュニティの手応えと温かな雰囲気を感じられた。それでも本当は、イベントとして盛り上げたかった。みんなも悔しかったが、N氏は相当だったはずだ。協力いただいた皆様に感謝しかない。


関係者みんなで創り上げたハイライフ八ヶ岳
そして2022年9月、リベンジの5回目は、コロナ禍で体力を消耗しているアースガーデンにとって、さらに厳しい状況となった。これまでの清里サンメドウズスキー場が借りられなくなってしまったのだ。延期の際に『来年、ここで会えるように』という言葉を胸に乗り切ったのに。幸い、前年の配信LIVEでお世話になった小淵沢女神の森さんに場所をお借りできることになった。正直覚悟が必要だったが開催を決め、改めてみんなで知恵を出し合った。新しい動線、新しいレイアウト、「発酵」をテーマにしたエリアやトークもあり、楽しいだけじゃない奥行きのある開催となった。

夜空の下、野外ステージのラストでMCHさんが挨拶した光景が忘れられない。青春みたいなエモさがあった。コロナ禍でもみんなで力を合わせた6年間だった。あれから4年も経ったのだなと、今書きながらしみじみしている。私自身も私らしく発酵できているだろうか。


地元、秋川流域での活動が本格化
この時期、アースガーデンにはもう1つ大きな動きがあった。過密にならずみんなで集まれる場所として、地元秋川流域にあるキャンプ場「自然人村」にご協力いただき、ライブ企画を始めたのだ。その名もライブフォレスト。コロナ禍に震えて静かにやり過ごすしかないのか?と私が不安でいたとき、N氏が決めて動きだした。ライブハウスやエンタメ業界が大打撃を受ける中、2020年7月、ROVOのライブからスタートした。あの夜の静かな熱狂は忘れられない。その後も、民謡クルセイダーズや渋さ知らズ、加藤登紀子、Yae、佐藤タイジ、オオヤユウスケ、他にも多くの熱く意識的なアーティストたちによって、森の中で音楽と人が混じり合った。



私たちのステージが完成
やがて、自然人村さんのご理解とご協力のもと、里山での野外ライブ会場としてステージを建築させていただいた。2022年4月の『花祭り』をかわきりに、多摩あきがわのライブアベニューとして動きはじめた。今では映画祭などにも利用されている。
https://solarism.info/news/1247/
ステージの設計では、フジロックのデコレーションを手がける空間工作舎VIBRATIONSのBUBBさんに指導していただきながら、建築を勉強していた次男が図面をひかせてもらった。母としては思い出深い、コロナ禍で楽しかった出来事のひとつだ。
はじめて地元のプロジェクトに関わる
ライブフォレストが始まった2020年、地元にいる時間が長くなった私に、自然人村の社長TKさんから、JR武蔵五日市駅前でマルシェを立ち上げる実行委員にならないかとお誘いをいただいた。N氏は以前から地元で活動していたが、私個人としては、地元のプロジェクトにコアメンバーとして関わるのははじめてだった。
出店者さんとやりとりするうちに、あっという間にたくさんの知り合いができた。仕事が生活圏に入って知り合いだらけになることに当初ためらいがあったが、私は自分が思っているよりもオープンな性格らしく、知っている人が増えるのは楽しいことの方が多かった。車ですれ違う時に笑顔を投げ合うのも、コミュニティの一員という感じがしてほっとする。地元に好きな人が増えていくことが、人生を豊かにしてくれる。そう素直に感じられるのが、本当にありがたい。
さようなら新木場ageHa、さようならスタジオコースト
アースガーデンを始めた頃から、毎週末スタッフの誰かが新木場のstudio coastへ行き、ageHaでフードコートの運営管理をしてきた。ageHaのTEちゃんとは、長年気をかけあってきた。私自身、ゲイナイトに忍びこんで激しく刺激を受けた夜もあった。20年続いた新木場ageHaが、2022年1月末に閉館。アースガーデンを底で支えてくれた存在だっただけに、コロナ禍での衝撃の出来事だった。時代は変わっていくのだと実感した。ありがとうageHa。働いてくれたスタッフのみんなも、本当にありがとうございました。

特別な時間をみんなで作った日々
頭を低くして嵐が過ぎるのを待つと言うが、コロナ禍を振り返ってみれば、頭を低くするどころか高く上げて、なんなら手を振って暴風雨を全身で受け止めたようなものだった。なんともN氏らしい。あの日々の選択が賢かったかは分からない。でも、イベントに集まってくれたスタッフ関係者含めたくさんの人たちとの時間は特別だったと言わせてほしい。
2023年から今
2023年春、イベント情報から「新型コロナ感染対策」の注意書きが消えた。けれど正直に言えば、私は今もコロナ禍の後遺症のようなかすかなざわめきの中にいて、仕事で判断をする時にもそれが影響している気がする。老いのせいもあるだろう。そんな私をよそに世の中は動きつづけ、外国からの観光客が急激に増え、物価も高騰した。
私は今年で57歳。あと少しで60歳になり、息子たちは大人になった。仕事では、工夫を重ねながらイベントearthgardenの開催を続け、地元ではますます動き回りearth colorsというデザインチームでも活動している。お陰様で年齢相応には健康に暮らしているが、世の中を見渡せば、3.11から各地で大きな地震が続き、コロナ禍があり、天災が相次ぎ、そして夏が本当に暑すぎる。ただ生きているだけでも一苦労なのだ。そこに、自分個人の人生の出来事も重なってくる。
今年4月から、私は3つの命の旅立ちと向き合っていた。そんな中、親の中で唯一健在の私の母は、日々の小さな出来事を楽しむ人だ。玄関先の花や虫、読んだ本のこと。こういう時代だからこそ、日常の中の小さな喜びを見つけながら暮らすのが心に効くなと思う。
ひとつお詫びです。3月に投稿した「その8」から随分時間が経ってしまったのは、こうした日々があったからでした。
さて、次は、いよいよ最終回。この3つの旅立ちのことにも触れつつ、「私のフェスティバルライフ」に至る道のりを書こうと思います。




