連載 私のフェスティバルライフ その6|渋谷で会社設立!Natural High!もスタート!

連れ合いのN氏とアースガーデンを立ち上げてからの30年のエッセイ。フェスティバルは、仕事の中にも、暮らしの中にもあった。フェスのなかった時代から、フェスが当たり前になった今へ。

今回は、個人事業主でやってきた谷根千から、法人化して渋谷でオフィスを立ち上げ、たくさんの人と出会っていった頃のお話です。色々なことと必死に格闘する中、Natural High!が爽やかにスタートします!

前回の話は、こちら
https://www.earth-garden.jp/goodlife/80868/

2001年秋からはじまったイベントearth gardenは、2003年には夏の開催もはじまり、2006年1月には浜松町産業貿易センターで冬の開催をはじめた(その後、浅草開催を経て、暖冬を感じ始め出した2012年に代々木公園に移動)。そうして、年に4回の季節開催がはじまり、春のアースデイ東京もどんどん活気が増していた。

家でリラックスできない

アースガーデンは、代々木公園以外にも多彩なイベントが増え、関わる人も種類も一気に増える中で、私たちは自宅での作業に限界を感じていた。私が一番大変だったのは、子育ても仕事も同じ場所で何もかもが膨らみ活発化していって、家で安らげなくなってきたことだった。

みんなと賑やかなのは本当に楽しかったが、家がリラックスできる場所でもあってほしかった(結局、いまだに難しい課題です)。また、この頃には経理的な面からみて法人化を検討すべきタイミングで、私は増え続ける通帳の行やレシートと向き合うための、落ち着いた時間と心を用意するのに日々焦っており、仕事に終わりを感じられなくなっていた。

N氏、法人化を決意

個人から法人へと節目を感じる日々だったが、私は目の前のことで手一杯だった。そんな中N氏は会社を立ち上げる決意をし、今の渋谷の小さなオフィスビルの1フロアーを借りるために根気よく交渉を続けて契約をした。(ちなみに、会社名は「en」。earthgardenの最初と最後の文字なのと、ご縁のenです)

夫婦どちらが大変ということは言えないが、N氏は社長として銀行との交渉や様々な費用のプレッシャーをほぼ一心で受け止めた。見方を変えれば買って出たということだ。あの頃を思い出すと、私は未だに恐れを感じてしまうのだ。恐れを手放せないのか、実は手放す気がないのか自分でも分からないが、田舎出身の私は、都会で起業することの大変さをひしひしと感じていた。

働くママの通勤がはじまる

何はともあれ、私の渋谷オフィスへの通勤がはじまった。次男の保育園へのお迎えは毎日最後から2番目だったが、この頃から長男がわたしの頼もしい助っ人になってくれて、息子たちの顔を見るとほっとした。通勤の時間分、前より忙しくなったが、仕事中は家のことから距離をおけたので作業は進んだ。ほとんどワンオペ育児で、私をシングルマザーだと思っていたママ友も多かったのが息子たちの卒業の時に判明して笑った。

毎日バタバタしていたけど、通勤で地下鉄に乗り込むと新しい生活が始まった気がした。電車の中では、がんばる母さんの1人だった。

自然派立ち呑みBAR「キミドリ.」オープン!

そして、翌年2005年には、同じビルの1階を借りて、飲食店経営の経験などない私たちが自然派立ち呑みBAR「キミドリ.」をオープンした。法人化したときもだが「キミドリ.」を始めるときも、たくさんの人に助けていただいた。内装と外装は、フジロックでデコレーションをしているBubbチームにお願いした。

お店がある程度起動に乗ってからは、日々のことは一番長くキミドリを守ってくれている、現マスターのはるさん任せなのだが、お陰様で昨年20周年を迎えさせてもらった。マスターの人柄と日々の努力、そしてこれまで奮闘してきてくれた、初期の店長から繋がるたくさんのスタッフやバイトさんたちのバトンを受け継いで今がある。そして、何より常連のお客さまたちのお陰。愛されている渋谷三丁目の店「キミドリ.」なのだ。

スタッフとの出会いと別れ

振り返ると、「キミドリ.」のこともあって、この頃から数年が会社としてスタッフが1番多かった。本格的にチームとして動き出し、様々なことを一緒に乗り越えてもらった。今も昔も、イベント開催にむけては、自分の役割と共に、事故や怪我などないよう安全に運営するといった当たり前の責任を感じながら準備している。イベントも大きくなり、同時にスタッフが増えたことで、そういった気持ちの負担を分け合えたのも本当に有り難かった。

スタッフの卒業(退職)を見送るときに一番辛いのは、分け合っていた責任分どっと自分に戻ってきてしまうことと、それを感じるたびに、その人が担ってくれていた気遣いやがんばりを感じて感謝と共に、変わってしまった事に悲しくなることだった。私はいつだってみんなの中の1人としていたかった。そうして私が泣く泣く見送った愛すべき人たちが旅立つことで、優秀で魅力的な人材を世の中に送り出すことができた、とも言えよう。30年の中でたくさんの出会いと別れや、関わり方の変化があり、私なりに色々と感じることがあった。人との出会いと別れは、私の心に深みをもたらすのだ。

活気と混乱と

話を戻すが、当時ほとんどのスタッフが20代で、小さなビルに人が出入りしつづけ活気に溢れていた。それぞれが自分の思い描く未来にむけてちゃんと悩み、チャレンジする人ばかりでキラキラしていた。比較的若くして母親になった私は、若いスタッフみんなの青春に混ぜてもらえた気分になれたのが、楽しく嬉しかった。そして、この人たちに会えたのは渋谷にオフィスを構えたのも大きい理由だろうと思うと、苦労が報われる気がして幸せだった。ただ、人が増えたことで今度は総務系の作業が増え、ギリギリ間に合うように手をつけていくのに必死だった。見るに見かねて双方の両親が孫たちのお世話に駆けつけてくれたことには本当に感謝してもしきれない。その数年後、探り探りYCさんに経理を助けてもらい始めたのだが、それまでは、じりじりと増え続ける作業と心労を抱えながら、夫婦同業の厳しさを受け止め続けるしかなかった。

もちろん大変だったのは私だけでなく、N氏もだろう。

わたしは、我慢強いことを重んじている訳では決してないが、自分を信頼しているのか、単なる負けず嫌いか、真面目さか、全部か。有難いことに、イベントにむけては、たくさんの関わってくれる人の笑顔を思い浮かべて準備できる。その笑顔が私を応援してくれる。また、スタッフ間で知恵やアイデアを出し合って作業や確認を進めるチームワークは、他の業種と同様、イベント業の醍醐味でもある。イベント当日になると全てが形になって見えるところが清々しくもあり、時に残酷でもあったりする。

こうやって思い出してみると、代々木公園でイベントearth gardenを初めてからの10年ほどについては、私の人生の中でも、どっと心に押し寄せるようなエネルギー溢れる時間だ。

当時もっと気持ち安らかに暮らすために何ができたのか?と考えてみても、とても悔しいが画期的なアイデアは思い浮かばない。私はこの頃から文章をかきはじめた。大変な時には自分に手紙を書いては、言葉にすることで心を整理していた。困ったことがあれば人に話を聴いてもらった。支えてくださった方たちには感謝しきれない。

今回、この30周年エッセイを書かせてもらって、今読んでくださっているあなたがいて、この機会に、当時器用には出来なかったが、果敢に向き合った自分を受け入れ赦してみようと思う。本当によくがんばったのは、私が一番知っている。それに、この時期の経験で、私という人間は面白くなったと思うし、他人の苦労を想像する力もついたのだから。

Natural High!がはじまる!

アースガーデンにおいて、私が大きな決断をしてきたことはほとんどないのではないだろうか?多分私は、この仕事でなくても、何を成すかより、どう在るかの方が大切なようだ。

イベントNatural High!をはじめたときも、N氏が決断をした。Natural High!は、2006年にはじまり2019年までつづいたアースガーデンの主催イベントで、山梨にある道志の森キャンプ場で開催された。

圧倒的に美しい新緑の木々に見守られながら、その自然自体を楽しめるフェスだった。キャンプ場オーナーファミリーにはたくさんのサポートをいただいた。会場の真ん中に川の水を引き込んだ池のようなプールがあって、川も満点の星空の夜も、焚き火と共に楽しめた。森に囲まれた空間で、音楽とキャンプを楽しむフェスとしては先駆けだったと思う。森の中のマーケットやワークショップも木漏れ日の下、素敵だった。大勢のボランティアさんも一緒に活動して、みんなでがんばって、みんなでたくさん笑いあった。

中央にいるのは、生前残したのはたった3冊の詩集にもかかわらず、世界17カ国で翻訳され、アレン・ギンズバーグやゲーリー・スナイダーらビート詩人にも愛されたコスモポリタン詩人、ナナオサカキ。

その後、フェスで「キャンプよろず相談所」などを運営しているヨロズの滝沢さんがアウトドアメーカーさんを巻き込んでくれて華やかさが増し、アウトドアマンの参加で豊かになった。実は、滝沢さんは「その2」で紹介した、私たちのチリでの自転車旅行記を載せてくれた雑誌の編集者でもあり、私たち夫婦と同世代で、公私共に心強い仲間として、Natural High!も一緒に育ててくれた。クスッと笑っちゃうような面白い企画を立ててくれたり、池を利用した結婚式も思い出深く、お客さんとみんなで拍手してお祝いをした。

「キャンプよろず相談所」の滝沢さん。手に持っているのは、不正入場ツアーの参加者証。1泊2日のトレッキングで山の中を歩きながら、エントランスとは別の場所から入場するツアーを「不正入場ツアー」と題して、企画したときの様子。

思い出話をするなら、10周年で、ヤギが赤ちゃんを産んでくれたのは、本当にご褒美をいただいた気持ちになって幸せだった。(https://www.earth-garden.jp/festival/43615/

新緑の森で、奮闘するスタッフの姿

会場にいる期間が長く、おいしい賄い飯をつくってくれる池田食堂を中心に、エントランス、バンガロー本部、メインステージまで、たくさんの場面やスタッフ・関係者の表情や出来事が思い出されて本当に懐かしい。私の担当だったキッズグリーンもハンモックが揺れ子どもたちの笑顔溢れるゆったりとした空間だった。曲線だらけの山道や広場で、お客さんの車両を受け入れ、事故のないよう誘導するのは緊張感があり、運営スタッフみんな、知恵と粘り強さを発揮していた。誘導スタッフが、バイクで走っり回っていた勇姿は忘れられない。

歴代の運営責任者はそれぞれらしいやり方でNatural High!を守ってくれた。人ごとのシーバーの音声を録音しておけるものなら、しておきたかったほどだ。森の中、会場全体に気を張って運営するのは大変だけど、野外フェスを仕事とする者として、関わった1人1人がNatural High!の運営を通して成長させてもらったと思う。

フロアでは、お客さんがAUTOさんのDJに体を揺らし、辻コースケさんのパーカッションで胸を揺さぶられ、KOMUGIさんのヨガが森を体感させてくれ、長野周平さんのワークショップで吊るされた燻製ベーコンの香りで、今年もNatural High!に来たのだと実感できた。たくさんのアーティストさんやスタッフ・関係者の顔がでてきて、書きたいのに書けないので、泣く泣くここまでにする。

体感が人を育む

それと同じで、このエッセイの限られた文字数の中で(そうでなくても長すぎると思っているのに)、私の人生に関わってくれた方みなさんを紹介できなくて悲しい気持ちになる。言葉というのは残酷だ。でも、私が「おはようございます!」と挨拶して「おはようございます!」返してもらった数えきれないやりとり。相談にのってもらったり、助けてもらったり、シーバーの「了解!」の声。それらは、お互いの思い出として、私の人生を創り上げてくれている。もしそれらを覚えていないとしても、人と人とが出会って関わり合っていくというのは、そういうことだ。寂しがるのはよそう。現実的に、私の人生の中に、みなさんがいるから私が私となっている。子育てと一緒だ。何をやってもらったかは覚えてないとしても、愛情の積み重ねという体感が人を育む。

さて、次回は「東京の里山に引っ越し。そして、3.11からの日々」です。

今考えれば、自分たちが、東京の西側の森の中を選んで住んでいるのは、あの道志の森の木々の美しさに魅了されたことも理由のひとつだったのだな。