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【コラム|セネガルの生活】問題ないという懐の深み

こんにちは。青年海外協力隊員として西アフリカ・セネガル共和国で活動させていただいている山口織枝と申します。今回はセネガルの人たちから耳にする、大らかな言葉のことについて書かせていただきます。

エネルギッシュな人が行き交う国

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どこの国、どこの地域でも、様々な人がいると思います。世界には色々な国や地域があって、多様ですが、その中でも、そこの土地の人びとの特色のようなものが、何となくあるとしたら、と考えたら、たとえば、おしゃべり好きである、とか、もの静かである、とか、ちょっと恥ずかしがり屋である、など、あるかもしれません。

私が、任地であるセネガルの北部に位置するルーガ市で生活していて思うこと、それは、人びとがエネルギッシュである、ということです。エネルギーがあって、明るいな、と、よく感じます。

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初めて会った人であっても親しげに話してくれる人が多く、人と人との間の信頼の厚さを感じます。こちらでは、握手をするのは挨拶として一般的なのですが、道端で初めて会った子どもが、とことことこちらに近づいて来るなと思ったら、すっと手を伸ばしてきてぎゅっと手を掴まれて、そこで挨拶をしに来たことが分かったりする場面が、よくあります。(とても愛らしいです。)

Amlu benn problème. = ひとつも問題ない。

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そんな人たちから日常的によく耳にする言葉があります。それは「Amlu benn problème.(=ひとつも問題ない。)」や「C’est pas grave.(=大きなことではない。)」「Amlu solo.(=重大なことではない。)」といった言葉です。英語で言うところの、「No problem」に当たるような言葉たちだと思います。

セネガルの人たち、ひいてはセネガルの社会の営みは、普段から大らかな雰囲気を様々な場面で感じるのですが、何か親切をしてもらったときに御礼を言ったときや、逆にゴメンね、と謝ったときなど、こういった言葉で返してもらうことがよくあります。問題ないよ、と言いつつ、本当は何か問題があったかもしれないのに、そんな言葉をさらりと口に出来る精神は、懐が深く、太っ腹だなあ、と日本人の私からは思います。

相手にだけでなく、自分にもポジティブな言葉

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言葉は思考をつくる、という考え方があると思います。私もそうだなあ、と思う節があるのですが、ついつい物事を悲観的だったり、深刻に捉えて、必要以上に疑心暗鬼になったり、余裕の無さから自己中心的になってしまったり、不安になったり、考えすぎたりしてしまうことが、私はしばしばあります。

でも、こちらで耳にする「問題ない」「大きなことではない」といった言葉を口にしてみたら、自分の思考回路ももっと前向きなものになるかもしれない、と思ったりします。セネガルの人たちの、相手を丸ごと包み込むような「問題ない」という言葉は、相手はもちろん、自分自身に向けてもポジティブなものになるかもしれない、と。

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とても短い言葉ではありますが、人とのやりとり、そして自分とのやりとりの中でも、そんな言葉を思い出し、口にしてみたら、セネガルの人たちのように、人や自分に対して、大らかに明るく接するということを学ぶと同時に、問題はもしかしたらあるかもしれないけれど、それを気にしすぎない、あるいは深刻にとらえすぎない、そして何より、大丈夫だ、と考えることが出来るかもしれない、と感じます。