音楽に励まされ前に進む人々と、寄り添い続ける人々と、空と緑と音楽と花火と「南相馬 騎馬武者ロックフェス」

「南相馬でロックフェス開催」という情報を聞いて、何はともあれ「行きたい! 行こう!!」と決めました。前日、福島からレンタカーで南相馬入り。宿泊したビジネスホテルは、除染や護岸工事などの復興事業にたずさわる人でいっぱいです。2014年9月20日土曜日、騎馬武者ロック当日の朝、作業着を着て仕事に出て行く人達を見ていて、ふと、3年4ヶ月前に初めて南相馬に来たときの光景を思い出しました。

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2014年9月に開催された福島県南相馬市で開かれた【南相馬 騎馬武者ロックフェス】に行ってきました。

当時国道6号沿いのホテルには、ガレキの片付けをしている人達がたくさん泊まっていました。その頃まだ立ち入りが制限されていた福島第一原発から半径20km圏内の警戒区域。当然のことながら津波の被害はあったけれど、一般のボランティアは立ち入れないので委託業者がガレキの片付けをしていたのではないかと思います。毎朝ホテルから、防護服を着て出かけて行く人達。ロビーでたまたま話をした日雇いのおじさんは、急に求人があって北海道から数日前にやってきたとのことで、「いつまでいるかはわからない」と話していたのを覚えています。月日が経って、当時に比べたら朝の光景はずいぶんおだやかになったけれど、何か根本的なものがそこに変わらずあり続けていることを、感じずにはいられませんでした。

credit: Guido van Nispen via FindCC
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会場は伝統の相馬野馬追が行われる祭場です

さて、いよいよ会場に! 朝9時、会場となっている雲雀ヶ原祭場地に向かいました。ここは、国指定重要無形民俗文化財の「相馬野馬追」が行われる場所で、毎年たくさんの観光客が訪れています。ステージ脇を囲むように掲げられた野馬追の旗とステージ上の甲冑は、このフェスが他のどこのものでもない、相馬でやるフェスなんだなーという気分を盛り上げてくれます。

credit: jetalone via FindCC
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お天気も最高! で、芝生の広がる会場は空が高くて広くて、ただひたすらに気持ちの良い場所で音楽を楽しめる環境でした。ステージは2つ。3年半経ったいまもなお、東北に福島に寄り添ってくれているミュージシャン。そして東北に基盤を置くミュージシャン達がステージを盛り上げてくれました。

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みんなの気持ちをつなげてくれた「太陽ドラム」

さて、そんなステージとステージの間の芝生の上に、ドラムセットが6-7セット(?)と和太鼓がバーンと置いてありました。何かなぁと思っていたら、お昼過ぎにわらわらとドラマー達が集まってきて、司会の紹介に続いてドラムセッションがスタート。これがめちゃくちゃ格好いい! 「太陽ドラム」という名前がついたセッションは、元ブルーハーツのドラマー・梶原徹也さんが各地でやっているセッションワークショップで、誰が参加してもOKの自由な場なのだそうです。コンセプト通り、ステージとお客さんの間には段差もロープもなくて、最後はお客さんやステージ出演者もまざって笑顔たくさんのドラムセッションになりました。勝手な解釈ですが、フェスの出演者とお客さんとか、避難している人と相馬にとどまっている人とか、いろんな「ここ」と「向こう」の垣根を取り払って、「輪」や「和」をつくりだす役割を、このセッションが担っていたのではないかなと思います。

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子どももおとなも、お年寄りも

今年が第1回目だった騎馬武者ロックフェスに参加して「いいなぁ」と思ったのが、会場付近に住んでいるご近所さんの姿でした。ふだんはフェスと無縁のおじいちゃん、おばあちゃんも「なんか今日やるっていうから来てみたんだけど・・・」と、若者に交じってステージの音楽を聴いていたり、花火が始まる頃にはビール飲みながらくつろいでいたり。全ステージが終わって花火が打ち上がる頃には、ロックフェスの枠をこえた町のお祭りのような、あったか和やかな時間が流れていました。

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無料のフェスを開催するまでの運営の皆さんのご苦労は本当に大きかったと思いますが、このユルさも今回のフェスの成功の証なんじゃないかな。READYFOR? の騎馬武者ロックのページにも書いてあった通り「小さい子どもからおじいちゃんおばあちゃんまで集まる音楽フェス」だったなぁ、と思います。近所のおじいちゃんが犬の散歩ついでにふらっと立ち寄ってステージを楽しんでいる姿、すごく印象的でした。

ピクニックエリアでの出会い

今回の一番のできごとはある親子に出会ったことでした。夕方、ちょっと小腹がすいたので出店でたこやきとつくねを買って、(さてどこに座ろうかな)と歩いていたら「よかったらここ座ってください」と気さくに話しかけてくれた女性と人なつこくて元気な男の子。私たちが東京から来たと言ったら「こんな遠いところまで、わざわざ来てくださり、ありがとうございます」と、彼女。(そんなこと言われたら恐縮しちゃいます!)と心の中で思いながら「どちらから?」と聞き返してみたら「新潟です」とのお返事。「ぶしつけなことを聞くようですが、避難先からですか?」と尋ねたら、「そうです」と。

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彼女、Mちゃんは震災発生時、生後2週間だった息子を連れて、詳しいことは何もわからないまま、避難所を転々として、最終的に新潟に行き着いたのだと話してくれました。そして、避難生活をするなかで旦那さんと離婚。今はひとりで知らない新潟の地で子育て中なのだと。「この子、避難所で育ったから人なつっこくて、、、知らない人のところにもどんどんいっちゃうんですよ〜」と、困り笑顔のMちゃん。好きなアーティストが出ているから、息子を連れて里帰りをしていたのです。まさに、フェスの目的のひとつだった「避難しバラバラになった人達がフェスを機会に里帰りできるような場所づくり」になっていたのですね!

約束をすることが、生きる希望

フェスの後も、MちゃんとはLINEでちょいちょいやりとりをしていて、「Mちゃんと息子くんに出会ったこと、書いてもよい?」と聞いたら「話したこと、何でも書いてもらって構いません。いくつもの家族が壊れていく現実も報道してほしい」という返事をもらいました。
また、こんなことも書いていました。

「約束をする事で、人は生きる希望を持てるんです。私はこの事故以来、何度もそういった希望を持っては絶望に変わってを繰り返してきました。人を信じれなくなり、避難先でずっと自分らしく生きられず仮面生活です。・・・昔、細美さんが約束について話していたのをTwitterで見つけました。その通りと思いました。今もそう思っているかはわかりませんが、そう思えるひと最高ですね。(原文のまま)」

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Mちゃんは、フェス会場に打ち上がった花火を見ながら、「これでまた次(の約束)まで頑張れる」とつぶやいていました。実行委員の皆さん、太陽族・花男さん、関係者・出演者の皆さま。 皆さんは何度も言われてることだろうし、いまさらのことだと思います。でも、次の「約束」を糧に、今日も前を向けている人たちがいて、そんなみんなにとって、騎馬武者ロックがくれたものがたくさんあることをあらためてお伝えしたく、書かせていただきました。

フェス会場と東京の往復だけではなく

フェスをきっかけに南相馬に来ることができたので、仮設住宅で交流サロンを運営されている「つながっぺ南相馬」代表の今野由喜さんに、小高区の避難指示解除準備区域を案内していただきました。南相馬は、津波被害を受けた地域、原発事故で避難指示が出た地域、地震で建物が壊れたり風評被害を受けたりした地域など、置かれた状況が本当にさまざまです。案内していただいたのは、津波と原発事故両方の影響を受けた場所。帰還目標(つまり完全に「住める」状態になる時期)の平成28年4月まであと1年半なのだけど、それまでは昼間しか滞在できないから、なかなか現実的に「生活する」ための準備ができないでいます。昨年、市が小高区の住民に対して行った調査では、戻りたいという意志のある人は全体の約30%。戻る、戻らない、戻るとしてもそれはいつのこと? 日本がこれまで経験したことのない事態にどう向き合うのか? 切実な現実を私たちは共有できているのだろうか? 時々こうして現実に近いところで突きつけられないと忘れてしまう自分がいて、だから通い続けるのかもしれません。

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帰りは飯館村を経由して福島へ。飯館村はこの3年半変わらず、町に人の気配がありません。ちょうど1年くらい前に通った時と違ったのは、道のいたるところに黒いビニール袋が山積みされていたこと。除染した土などを借り置きしているようで、『除染作業中』の旗がはためいていました。通り沿いの線量計の値は0.748μSv/h…。「いま、これが現実なのだ」ということだけは自覚し続けたい。そう思った帰り道でした。

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