東京に住む被災者が抱えるものとは?ある電話から始まったストーリー「故郷が被災地であるということ」

東日本大震災の追悼の場「Peace On Earth」の制作で慌ただしい毎日を送っていた3月の初旬、アースガーデンオフィスの電話が鳴った。「Peace On Earthに、大槌町の人は出ないんですか? なんで出ないんですか?」

それは岩手県でも大きな被害が出た地域のひとつ、大槌町出身のある女性からの電話だった。「テレビに出るのは石巻や陸前高田ばかり。大槌町は忘れられていくんですか?」

事務局のスタッフとして、メディアに携わるものとして、そして一人の人間として、居た堪れない気持ちになった。こんな時、なんて声をかけたらいいのだろうと一瞬悩み、ならば話を聞かせて欲しいと頼んだ。

「他の地域がどんどん復興していくのに、大槌町は復興していない。大槌町にいる両親はそれを肌で感じているから、すごく焦っているのが分かります。」

当然、元々の町の規模が違うというのは、あるだろう。だからこそ、石巻ではどこよりも早くボランティアの拠点ができて『何かしたい』と思う人の受け皿があった。陸前高田は地元の企業がすぐさま復興に動き出し、それに様々なメディアが注目した。

しかし、大槌町は町長と多くの役所のスタッフが津波に巻き込まれてしまったのだ。何を報道すればいいかメディアも途方にくれる中、キーマンやメディアの受け皿があるかないかが、その後の報道を左右するのかもしれない。

「電車の中で赤ちゃん連れの親子が話してるのが聞こえたんです。『近くのスーパーはモノが買い占められていて、遠くに買いに行かなくちゃいけない。ぶっちゃけ私達も被災者だよね。』って。」

町中でも職場でも『被災地のことは他人ごと』と感じる場面に数多く遭遇し、深く傷ついた。自分のふるさとには苦境と向き合いながら生きている家族がいる。

しかし、東京では何事もなかったかの様に毎日が進む。被災地である故郷と東京の空気感の間にいる彼女の気持ちは理解されにくい。だからこそ、そんな苦悩をブログに綴ることにした。すると、次第に、自身と同じように東京に住む被災地出身の人がコメントをくれるようになる。

「同じ大槌町出身の男性からメッセージが届いたんです。『確かに東京の人に言っても全然分かってもらえません。だから僕は言い続けます』と。この人は強いなと思いました。当然、どうすればいいか分からない人たちともたくさん出会いました。一人一人が様々な思いを抱えて生きていると思います。」

大槌町では地元の女性達の手仕事による刺し子の販売を行うプロジェクトや、明治学院大学の教授や生徒が積極的にボランティア活動をしている。しかし、大手のメディアに出たことはほとんどないそうだ。とにかく大槌町の現状を知ってもらえないのが辛いと話す彼女。

「被災地」と一括りにしてしまいがちだか、その中には一つ一つの町があり、一人一人の人生と生活がある。彼女たちの心に少しでも寄り添うことはできないだろうか。