【コラム|セネガルの生活】日常に潜む神様 インシャーラー / マーシャーラーという言葉

こんにちは。青年海外協力隊員として西アフリカ・セネガル共和国にて活動させていただいている山口織枝と申します。今回は、セネガルでよく聞く言葉、「インシャーラー」(inchallah)と「マーシャーラー(マンシャーラー)」(maachallah, manchallah)にまつわる話を書かせて頂きます。

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インシャーラー = 神の意志がそうであるなら

セネガルは人口の9割以上の人たちがイスラム教を信仰しています。そのため、日常生活の中にイスラム教は深く浸透していて、よく知られているように、1日5回のお祈りをする、豚肉を食さない、飲酒をしない、といった原則を守って生活している人も多くいます。

冒頭の、もしかしたら日本に住んでいる人にとってはあまり聞き慣れない言葉である「インシャーラー」「マーシャーラー(マンシャーラー)」というのも、このイスラム教に関係している言葉です。これらはアラビア語で(本当はアラビア語表記がありますが、ここではカタカナとアルファベットで表記させていただきます)、「インシャーラー」というのは、「神の意志がそうであるなら」といった意味だそうです。そして「マーシャーラー(マンシャーラー)」は、その先に続くフレーズと合わせて、もともと、「全ての力は神の手の間に」といった意味で、何かを讃えるとき、また、守る意味で用いられるそうです。

(神の意志がそうであるなら、)また次の月曜に

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セネガルの人たちはとても人なつこくて、誰かの所を訪問したりすると、帰るときに必ずといって良い程、「次はいつ来るの?」と聞かれます。その答えとして、たとえば「また次の月曜に」と言う際に、よく文末で、またはそれを言われた相手からの返答として「インシャーラー」と言います。そうすることで、「(神の意志がそうであるなら、)また次の月曜に」、または「また次の月曜に」「神の意志がそうであるなら」といったニュアンスを持ちます。これはもうほとんど決まり文句といっても良い程、よく聞くフレーズです。様々な場面において「インシャーラー」は用いられていて、日取りや時間の約束についても、日本で生まれ育った私からすると、大らかだなあ、と、感じることも多いです。

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しかしながら、よく考えてみると、全ての物事は本来「インシャーラー」である、とも言えると思います。以前、インドネシア出身のイスラム教徒の人が、この言葉について、「自分で出来ることをやった上で、後は神が決めること、というような意味です。」と言っていました。それを聞いたとき、なるほど、と思ったことを覚えています。また、この言葉を付けることで、お互いの間で、物事が本来持つ不確実な部分を確認しあうことで、寛容性を生んでいる、と考えることもできるのではないか、と思います。

祈ること。人間の手の及ばないものに対する思い。

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「マーシャーラー(マンシャーラー)」は、もともと、maachallah(manchallah) la khawla walla khuwata ila bi lahiというアラビア語の長いフレーズを省略したものだそうです。何か物事がうまくいっているとき、素晴らしいものがあるときなどに使われます。状態が良いものについて、それを讃える意味を込めて用いられるようです。

たとえば、会話の中で、「その服可愛いね。」と言った後に、「マーシャーラー(マンシャーラー)」を付け加えたりします。この言葉の持つ意味をセネガル人の知り合いに聞いたところ、大勢の人があるものを指して「良いものだ」と言ったり、そのものが良い状態であるが故に大勢の人に見られたりすること自体が、あまり良くないことだという考えがあって、もともとはそんな風に言われたり見られたりする対象の人やものを守るための言葉だということでした。素敵な人やものであるが故に、沢山の言葉や目に晒される。その状態から守る意味があるというのです。

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この話を聞いていて、私は、言葉に対するそういった考えは、日本にある、言葉が魂を持つという、「言霊」という考え方にも似ているかもしれない、と感じ、興味深く思いました。

会話の中で時々、セネガルの人は本当に上を指差して、「それは神が決めることだよ」と言ったりもしています。

祈ること。人間の手の及ばないものに対する思い。
そういったものが日常生活の中に自然と息づいており、人びとにとってそれは特別なことではないのだということを、ここではよく感じるのです。
神様の存在が遠くない所。
そんな風にも言えるかもしれません。