【コラム|セネガルの生活】イスラム教のラマダンのこと、どれくらい知ってますか?

こんにちは。青年海外協力隊員として、西アフリカ・セネガル共和国の北部の地方都市にて活動させていただいている、山口織枝です。今回は、イスラム教のラマダンのことについて書かせていただきます。

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世界では、このラマダン月に立て続けに悲しい事件が起きました。
事件で犠牲になられた方がたのご冥福を、心からお祈り申し上げます。

ラマダンの終わる前日、あるセネガルの人が私に、「イスラム教徒はテロリストじゃないよ。」と言いました。

この言葉を言われたとき、思わず「知っているよ。」と言いました。
日々淡々と信仰を行っている人びとから、このような言葉が出てくることは、辛いことだと思いました。

この記事を書いていたとき、まだ事件は起こっていませんでした。
事件が起きた後、記事を仕上げる段階で、事件のことが頭によぎりました。そして、少し悩みました。

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イスラム教徒の人にとって、ラマダンは巡ってくる季節の一部であり、生活の一部であることに、変わりはないと思います。しかし、起きてしまった痛ましい事件は、人が意図的にこの時期に企てたことでした。悲しいけれどそれは事実でした。

でも、では、イスラム教を信仰している人びとのそばに今いる者としてできることは何だろう、と考えると、とてもとても小さなことかもしれないけれど、その、普通に暮らしているイスラム教徒の人たちがどんな風に暮らしているのか、自分が見聞きしたことを、自分なりの視点で、ほんの断片であったとしても、やはり伝えるべきなのではないか、と思いました。

人びとがそれぞれの日常を生きている、という「普通」のことは、とても尊いことだと私は思います。
ひとりひとりの日常の尊さを、もっと想像できるようになりたい、と、私自身思います。

世界にはこんな日常を送っている人たちもいる、ということを、ただ伝えたく、書かせていただきます。

「ラマダン(ラマダーン)」のこと、ちゃんと知ってますか?

イスラム教の「ラマダン(ラマダーン)」と呼ばれる月。月の満ち欠けによって始まる日が変わるというもので、約1ヶ月間あります。セネガルでは大多数を占めているイスラム教徒の人たちは、この期間、毎朝5時頃から夜7時半過ぎ頃まで、一切の飲み物と食べ物を口にしないということになっています。(小さな子どもや病気の人は、それを行わなくても良いということになっていたり、旅行中の人は断食をする日程をずらしても良い、ということになっていたりもするようです。)

夜、1日の断食が終わると、人びとはまずナツメヤシの実を食べ、コーヒーを飲んだり、旧宗主国フランスが残した遺産のひとつであるフランスパン(ラマダン以外の普段のときは、主に朝ご飯として売られている)を食したりします。そして、夜9〜11時くらいの時間に、本格的な夜ご飯を食べます。

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この時期、人に会う度に「ラマダンはどう?」「断食している?」と聞かれるのですが、私が中途半端に昼食だけ抜いたりしたときに「少しだけ…」と答えたら、笑いながら、「断食に少し、は無いよ」と言ってくれたり、その後1日断食を行ったときに、「1日だけ」と答えても、「頑張ってるね」と言ってくれたり、冗談めいて笑いながら、「1日じゃだめだよ、5日はしなきゃ」と言ったりしてくれて、優しいです。

1日してみた感想は…日本の真夏のように暑いセネガルでは、食べないことよりも飲まないことの方がより負荷がかかっているような気がしました。でも、その1日を終えたときに飲む水は、体に文字通り染み渡っていくような心地で、何とも美味しく感じたのでした。

「ラマダンどう?」 「良いよ」

夕方になると、元気なセネガルの人たちも、さすがに少し疲れ気味な様子の人もちらほらと現れますが(飲食をしないこと以外、特に変わらず普段通りの生活を送るわけなので、それはそうだろうと思います!)、「ラマダンどう?」と聞くと「良いよ」と答える人も。これを1日ではなく、1週間でもなく、約1ヶ月間続けるのですから、体の底にみなぎるパワー、すごいなあと思います。

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もちろん、セネガルには他の宗教を信仰している人もいます。たとえばキリスト教徒の人たちは、この時期断食を行いません。話をする機会があると、「私は断食していないのです」と言ったりしています。

この時期は、イスラム教徒の多い他の国にも同じような習慣があると思いますが、日没後は豪勢な食事をとることも多いようです。日中耐えていた分、夜は沢山食べるのだと思います。そしてラマダン月が明けた際には、「コリテ」と呼ばれるお祭りが催され、豪華な食事を振る舞う風習になっています。
先日、セネガルでは今年は7月6日にこの「コリテ」が催され、友人の家へ招いてもらい、鶏肉を丸焼きにした豪華な食事を頂いてきました。信心深いセネガルのイスラム教徒の人たちにとっては、1ヶ月間やり抜いたからこそ食事の有り難みと美味しさが、格別に感じられるのかもしれません。

お祭りの後には、「お祭りどうだった?」などと聞き合ったり、「鶏肉美味しかったよ。」などと言い合ったりします。

そして、ラマダンが終わった今、またいつものように、フランスパンに具をつめて売る朝ご飯屋さんが、並び始めています。