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最高の“友達”だった、ナナオ

このブログを書いている今日は、ナナオの四十九日です。
そして、七×七=四十九、なにげに科学好きで、数字の詩作もあったナナオなら、
今日の自分にどんな自分の詩を読むのでしょうか?(笑)

名前のない新聞というミニコミにナナオについて書いた文章を流用します。
2月15日「ナナオ四十九日」@国分寺カフェスローでも、皆さんとナナオの思い出を持って集えれば幸いです。
どうぞ、よろしくお願いいたします。

〜〜〜〜〜〜〜
「最高の“友達”だった、ナナオ」
2009.2.10. 南兵衛@鈴木幸一

 僕にとって、ナナオは最高の友達だった。
 歳は本当に孫ほど違っていたし、表現者としてのナナオには最大級の敬意を持っていたけれども、ナナオはやっぱり、友達だった。そしてそれは元々ナナオがそう望んだことだったとも思う。
 1990年長良川行進の時、初めてナナオに会った。その1年ぐらい前にも小さなイベントで目にした時があったような気もするのだけれど、余りよく覚えていない。
 20年前の長良川の手づくり行進は、まだ20歳そこそこの僕にとって、現代に突如現れた原始人の集まりのように強烈な印象が残っている。今のように、ヒッピーファッションも一般的ではなかった頃で、長髪にひげ面はもちろん、ドレッドヘアーなんて知りもしなかった。そんな人たちが長良川源流の小さな町の公民館にウヨウヨと溢れていた。時代遅れのアウトドア系左翼少年だった僕は、ただあ然とするばかりだった。
 そんな中でナナオはまだ60代半ばだったけれど、他の参加者より一回り年上で、すでにロングの見事な白髪に白髭が長老に相応しい貫禄は、あきらかに集まりのシンボルだった。

 行進の続いた2〜3日後、たまたま所用で近くに車で移動するナナオの運転手をすることになって、初めて2人になった。その時、出先で出会った人にナナオが僕を紹介してくれてこう言った「友達のナンベイくんだよ」。
 ナナオにしてみれば当たり前でしょ?、という程度のことだったと思うのだけれど、孫ほどの年下をつかまえて「友達」と言える自由でニュートラルなナナオの精神が、強烈に僕をキックした。
 だからその後も、ナナオは僕にはあくまで友達だった。当たり前に年上として気遣いはしたけれど特別な扱いはしなかった。むしろ元気なナナオを見るとちょっと乱暴になってしまうぐらいで。きっとナナオもだからこそ僕たちとのつきあったのじゃないか? うちに時々泊まる時も狭いウチの中で子供達と一緒に川の字で寝ていて、それを嬉しそうに他の人にも話していたと聞いて、そんな風にも思った。
 今回の原稿を書く話がアパッチから来た時、あえてナナオ批判を、という話もあって、確かに昔のナナオが怖かったとか、ごう慢だ、見栄っ張りだ、等々の意見は僕にも伝わってきているし、僕自身そういう印象も部分的には持っているのだけれど、でも友達だからそんな欠点はあって当然でしょ?(笑)
 80年代の前半ぐらいまでのナナオにはどこかで世の中を変えていくために自分がカリスマでなければと気持ちを張っていたところがあったのだろうと思う。映画「スワノセ第4世界」などを見るとそういうナナオのがんばりを感じる。だけど、少なくとも僕が密接だった90年代後半以降のナナオにそういう意識やごう慢さを感じたことはあまりない。まあ、当たり前に少し見栄っ張りで、知ったかぶりで、でもそれを支える博識や知恵の基本を持っている愛すべき人で、人間としての自分に当たり前に接してくる人に分け隔てのない、優しい人だった。
 そしてもちろん、ナナオの詩は素晴らしかったし、パフォーマーとしても最高だった。
 僕にとっては、それで十分。 ナナオ、いってらっしゃい。

南兵衛@鈴木幸一

下は、我が家に来たナナオが子供達と一緒にプリクラを撮ったモノ。
なんだね、これは?とのぞき込んだところでいいタイミングでパチリと(笑)。
ナナオらしくないようでいてナナオらしい、一枚です。